結婚の相手が愛せる人であるかどうかといったことは、昔ならまだしも、今どき改めて取り上げることを奇異に感ずるかもしれません。昔と違って、今は、“愛している”から結婚する、と大半の人は考えているに違いありません。昔のように、愛情とは無関係に結婚する人は、今は、皆無ではないでしょうが、はんとに少ないでしょう。双方の愛情があることが前提で結婚するというのが、今日の慣習となっています。でも、その「愛」というのがクセ者です。「愛」という一文字には、多くの意味があり、含みがあります。その「愛」という言葉を口にする人には、それぞれの意味合いがあります。使う人が違っても、その意味は同じということではないのです。そういう意味では、結婚の相手がほんとうに愛せる人であるかどうかは、ただ、「愛しているよ」とか、「好き」などといった言葉だけで分かるものじゃないでしょう。「愛」という言葉ほど不可解な言葉はないですね。というのは、「愛」という抽象的なものは、何か具体的な形で示されないと分からないものだからです。つまり、人というのは、人の愛する行為によって、その人が愛せる人かどうか、自分を愛しているかどうかを判断するしかないのです。どんなに甘い愛の言葉を聞かされても、それが具体的な行為で表されない限り、それは、単なる口先だけのことであって、愛の証にはならないのです。こんな当たり前のことをあえて述べたりするのは、案外、こういう基本的なところで錯覚するという間違いを犯してしまう人が多いからです。愛の囁きを聞くだけでうっとりしてしまう人が、決して少なくないんです。その愛の言葉の検証をしないで。