貴族の時代、「飾る」ことにかんして男と女はいわば対等であった。そこで大切なのは《階級差》であって《性差》ではなかった。ところが、ブルジョワジーが貴族的な装飾性を否定するのにともなって、こんどは性差が前面に浮上してくることになる。つまりこういうことだ。ブルジョワジーの男性は、自分たちの服装を「富」や「地位」の記号にしなかったぶん、その役割を女性に託すことになったのである。先に引用した『衣服のアルケオロジー』は、「女性、すなわち男の看板」という小見出しで、この間の事情を次のように述べている。富の記号、あるいは装飾的価値として、女性は結局のところ大革命が男性の服装から追放したレースや宝石にとって代わったのである。従って、断絶というほどの断絶もなしに貴族の伝統を受け継いだ女性はこれ以後、過剰と無駄を求める浪費家の役割を単独で、だが二人分も果たすことになる。つまり、近代は、「飾りたてる」ことが女性専科になった時代なのである。シャネルが一掃しようと思ったのは、こうして「過剰と無駄」を求めて飾りたてられた女性モードだったのだ。そのような過剰装飾に対するシャネルの嫌悪感は断固としていた。